連載4「左々の碑」その2
京都に石碑を建立す 4話「左々の碑」その2
「左々の碑」の碑銘は以下の通りです。
(表)高台寺
きよミづ
左へ左へ
(裏)大正十二年冬三宅安兵衛
所在地は、京都市東山区鷲尾町。
円山音楽堂の南向かい、芭蕉堂の北向かいです。
「日記」には、1923年(大正12)7月22日に初めて登場します。
「岩井藍水氏ニ面会し双林寺、東の石碑の文字を依頼す」
岩井藍水は元京都市立小学校長で、小学生に童話や歴史をおもしろおかしく口演する、「童話口演」の研究者として当時知られた俳人です。
初めて碓井小三郎以外の揮毫を依頼したことになりますが、いずれにせよ通り一遍な文字ではなく、「名士」への揮毫です。三宅碑の一つの特徴です。
「双林寺、東の石碑」というのは、第1号碑の東隣に建てる予定の碑、という意味です。
つぎの記載は9月1日。
「次で芭蕉堂へ到リ岩井藍水氏面会、石碑の文字揮毫を依嘱す」
今回も揮毫を依頼。
前回は「考えとく」とでもいわれたのでしょうか。
ところで興味深いのは、この日の日記の欄外に、
「東京全滅」とあることです。
当日は1923年9月1日。
関東大震災の日です。
これを付記しているわけです。
おそらく後日の加筆と思いますが、この「日記」の特徴として適宜、時事ネタを記載している点があげられます。
僕は昔習った先生から、日記を書け、そのとき時事ネタを加えよ、時間が経過し、改めて読み直したとき、「歴史」のなかの自分が自覚できる、と教わったことがあります。
三宅清治郎はどういうつもりでこれを実行していたのでしょう。
毎日日記を書いている者として、意識の高さに感嘆しております。
(つづく)
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