« 引越しの荷物整理をする | トップページ | お盆で、墓参しました »

2005.08.15

連載4「左々の碑」その2

京都に石碑を建立す 4話「左々の碑」その2

 「左々の碑」の碑銘は以下の通りです。

1923-1

 (表)高台寺
    きよミづ
    左へ左へ
 (裏)大正十二年冬三宅安兵衛


 所在地は、京都市東山区鷲尾町。
 円山音楽堂の南向かい、芭蕉堂の北向かいです。

 「日記」には、1923年(大正12)7月22日に初めて登場します。
 
 「岩井藍水氏ニ面会し双林寺、東の石碑の文字を依頼す」

 岩井藍水は元京都市立小学校長で、小学生に童話や歴史をおもしろおかしく口演する、「童話口演」の研究者として当時知られた俳人です。

 初めて碓井小三郎以外の揮毫を依頼したことになりますが、いずれにせよ通り一遍な文字ではなく、「名士」への揮毫です。三宅碑の一つの特徴です。

 「双林寺、東の石碑」というのは、第1号碑の東隣に建てる予定の碑、という意味です。

 つぎの記載は9月1日。
 「次で芭蕉堂へ到リ岩井藍水氏面会、石碑の文字揮毫を依嘱す」
 
 今回も揮毫を依頼。
 前回は「考えとく」とでもいわれたのでしょうか。

 ところで興味深いのは、この日の日記の欄外に、
「東京全滅」とあることです。
 
 当日は1923年9月1日。
 関東大震災の日です。
 これを付記しているわけです。
 おそらく後日の加筆と思いますが、この「日記」の特徴として適宜、時事ネタを記載している点があげられます。

 僕は昔習った先生から、日記を書け、そのとき時事ネタを加えよ、時間が経過し、改めて読み直したとき、「歴史」のなかの自分が自覚できる、と教わったことがあります。

 三宅清治郎はどういうつもりでこれを実行していたのでしょう。
 毎日日記を書いている者として、意識の高さに感嘆しております。
(つづく)

|

« 引越しの荷物整理をする | トップページ | お盆で、墓参しました »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。