新発見!!「御土居」買収を示す標柱
8/23(火)くもり
研究対象としている史蹟には、特に用事がなくても<近くを通ると、わざわざ立ち寄ります。
そんなことしてどうするの。
そう思われる方、多いと思います。
時々、驚くべき「出会い」があるのです。
「どうして、今まで気づかなかったのだろう」というようなことが起きるのです。
同じ場所を何度も訪れること、誰が何といわれようが、それは大事なことなのです。
本日、またそんな「出会い」がありました。
烏丸通今出川の相国寺付近に用事がありまして、終了後、自転車で寺町通をふらふらしていました。
ふと、寺町に接する惣構の土塁(御土居)跡を見ようと、本満寺に行きました。
ここにはすでに土塁はありませんが、墓地がそこだけ高くなっていてその跡地が明瞭です。
隣地の白鷹弁財天という祠は、そのなかでもっとも高い場所に鎮座しています(写真。クリックすると拡大します)。
おそらく4メートル程度の高さはあると思います。
その白鷹弁財天にお参りに来たのです。
参拝のあと石の階段を下りました。
階段の最下段には、高さ60センチメートル程度の石標があります。
何か文字が刻まれています。
磨耗して読みにくいです。
そのため、いままで何度も視界に入っていたのですが、気にもとめませんでした。
ところが本日、なぜか目にとまったのです。
文字を読もうとしたのです。
「従是南六拾七間壹尺五寸」(これより南、67間1尺5寸)、??なんじゃこれ。
別の面の文字を読んで見ました。
「・・・寺買得(ばいとく)地」?・・・・あぁ「本満寺買得地」か。
さらに別の面を読んでみました。
「従是西拾間壹尺五寸」(これより西、10間1尺5寸)。
ここまで読んで、あっと驚く。
本満寺は江戸中期、境内の東に接していた惣構の土塁(御土居)を、公儀から買得(購入)しているのです。
この標柱は、土塁(御土居)購入範囲を示した牓示石(境界石)なのではないか!
西の長さというのは土塁の幅のことでしょう。
10間1尺5寸は、18.6メートルにあたり、幅約20メートルの土塁幅とほぼ一致します。
こんなものが存在し、現在もその地にあるなんて・・・・。
確認しようと思い急いで帰宅。
そしてさらに息を飲む。
惣構の土塁(御土居)・堀の所有者や、拝借者を克明に記した絵図があります。
寛政年間作製の「御土居麁(そ)絵図」(京都大学総合博物館蔵)です。
京都大学の好意で、うちにその写しがあります。
当該場所には、「享保十八丑年本満寺江買得」とあり、享保18年(1733)に本満寺が購入したことが分かります。
その横にその規模が書かれてありました。
「長六十七間一尺五寸」「巾北十間一尺五寸/南十一間二尺」。
まったく一致するではありませんか!!
予想は当たっていたのです。
「大発見」です。
僕はいままでこの地で何を見ていたのだろう。
喜びとともに、うかつさにあきれる。
この石標のことを近刊の拙著に書き加えたい!
しかしできない。
もう刊行直前なのだ。
今回が初めてではありません。
すでに別の部分にも、加筆したい新発見がおきています。
そちらはすでに『花園大学人権教育研究センター報』に発表しましたからいいのですが、今回のは活字に未発表のまま拙著が刊行されるでしょう。
読者のみなさまへ。
拙著の当該部分に、本日のブログをプリントアウトして貼っていただけますでしょうか(まだ刊行されていないのに)。
ともあれ、これだから史蹟見学は止められない。
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コメント
舘鼻先生
コメントありがとうございます。
お返事が遅れ失礼致しました。
ご賛同、及び拙著刊行を期待くださり誠にありがとうございます。
一昨日、ついに表紙が出来てきました。
仮留めの見本も上がりました。
どうやら本当に出るようです。
不安と期待で一杯です。
『センター報』の小文は近々に公開いたしたく存じます。
投稿: 中村武生 | 2005.08.28 12:16
中村先生、ご無沙汰しております。
何度も訪れた場所なのに、ちょっとしたきっかけで新たな発見をする、そんな経験は私も何度かあります。
ましてや、本の出版直前にこうした新発見があると、本当に悔しいですね。
今回の記事は、しっかり印刷してご著書に貼り付けておきます。
だから早く本を出してください。すごく楽しみにしているのですから(笑)。
これからも、こうした新情報を楽しみにしています。
なお、『花園大学人権教育研究センター報』は、私の大学になさそうなので、よろしければこのブログでも発信してくださると助かります。
投稿: 舘鼻誠(侍大将まこべえ) | 2005.08.25 00:24