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2005.08.04

連載3「南禅寺金地院、東照宮」

京都に石碑を建立す 第3話「南禅寺金地院、東照宮」

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 南禅寺金地院は、徳川家康の側近で黒衣の宰相といわれた崇伝ゆかりの寺です。
 ここには「東照宮」もあり、徳川家との縁の深さが知れます。

 この東照宮の前に三宅碑は建てられました(1922年9月29日竣工)。
 これが第2号碑です。

 前回紹介しました広隆寺桂宮院の碑は、銘によると1922年(大正11)12月の建立になっています。
 しかし「日記」によれば、翌1923年1月の建立でした。
 1922年の建立ではなかったのです。

 つまり金地院東照宮碑が、唯一の1922年碑なのです。
 どうして第2号碑が金地院に建ったのでしょう?

 実は同院は、三宅清治郎の亡父安兵衛の墓所なのです。
 亡父ゆかりの地に建てたわけです。
 
 碑銘は、
 (表)東照宮 金地院
      けあげ大津行電車近道
 (裏)大正壬戌仲秋日 三宅安兵衛建之
 (左)建設施主 吉田嘉一
              喜久子

 銘にある電車とは、三条通を走る京阪電車京津線のことですね。
 「けあげ」は「蹴上」で、最寄の駅名です。 
 金地院の前の道を通れば、南禅寺参道へ戻らなくとも駅に行けますよ、という意味です。
 
 ところで左側面にある建設施主の「吉田嘉一・喜久子」とは何でしょう。
 清治郎が建てたはずなのに、別に建設者があったということでしょうか。

 実は吉田喜久子は旧姓三宅で、安兵衛の次男安次郎の娘です。
 清治郎の姪にあたります。
 嘉一はその夫です。

 清治郎の建立事業に姪夫婦が手助けをしたということでしょうか。
 いえ、喜久子は、1922年当時まだ幼児でした。
 もちろん嘉一と結婚もしていません。

 そうすると現存碑は、清治郎の建てた碑が何らかの事情で失われ、のちに吉田夫妻が再建したものである可能
性が出て参ります。

 先年、ちょっとした機縁で、高齢の吉田喜久子さんにお目にかかる機会がありました。

 『京都新聞』で僕の三宅碑研究を知られた女性から連絡がありました。
 その方は僕が非常勤講師をつとめる花園大学の卒業生で、なんと吉田喜久子さんのお孫さんだったのです。

 京都市上京区の病院に入院中のところをお訪ねし、お嫁さんの介助でお話しをうかがいました。
 残念なことにすでにご記憶ではなく、答えはわかりませんでした。

 しかし三宅家ゆかりの建物の古写真などをご覧に入れると、明快に、三宅邸だとか、馬代町(の別荘)だなどと
語られました。
 目の前におられる方が安兵衛や清治郎と生きてこられたのだなぁと感慨深く思い、1時間ほどで辞去しました。
 
 他界されたのはそれからまもなくのことでした。

 忘れられない思い出になりました。

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コメント

ててさん こんにちは
 毎日暑いですね。
 イベントお申し込み成功、おめでとうございます。
 このネタでは史上初のイベントですので、僕も楽しみにしております。
 どうぞよろしくお願いします。

投稿: 中村武生 | 2005.08.07 14:42

先生、こんにちわm(__)m
JRのイベント、予約取れました(^O^)/
今回は、一人での参加になりますが..三宅碑っじっくり堪能したいと思います。松花堂弁当!!楽しみです。

投稿: てて | 2005.08.07 11:29

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