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2005.08.02

京都に石碑を建立す 第2話

京都に石碑を建立す 第2話「広隆寺桂宮院」

keiku3
 三宅碑の連載にタイトルをつけました。
 いつまで続くか分かりませんが、どうぞよろしくお願いします。

 第1号の三宅碑が1921年(大正10)年末に建てられましたので、第2号は翌1922年に建てられることとなります。
 この年には、2か寺に、計3基建てられます。
 広隆寺桂宮院と、南禅寺金地院です。

 まずは広隆寺桂宮院をご紹介しましょう。
 広隆寺は、飛鳥時代の弥勒菩薩像が残されていることで知られる寺院です。
 創建者が聖徳太子の側近、秦河勝とされますので、同寺は聖徳太子ゆかりの地としてながく信仰されてきました。
 
 たまたま1922年は聖徳太子没後1200年にあたります(622年死去)。

 清治郎の友人に平井仁兵衛という人物がいます。
 この人はなかなか文化財保護に熱心で、のちに清治郎といっしょに国から文化財保護に尽力したとして表彰されます。
 その平井が、聖徳太子没後1200年にあたり、広隆寺の「法要執行並に殿堂、宝物館、其他建設及び修復に付き寄附」を求めるのです。
 同年2月8日のことです。

 清治郎は平井の申し出に快く応じ、即座に当時のお金で200円寄附しました。
 現在のおおよそ100万円です(すごい)。
 
 その際、清治郎は、同時に広隆寺へ「道標の建設をも申込」みます。
 理由は、「同寺境内桂宮院は、京都第一の古建築物」のためです。

 ただ残念ながらこれは事実に反します。
 むしろ同寺の「講堂」の方が古い建造物です(平安後期)。
 広隆寺講堂は京都市内最古の建物、平安時代の建物たった二つのうちの一つなのです。

(弥勒菩薩像だけおまいする方が多くて残念です。
 ぜひ講堂を見学してください。
 なおもう一つの京都市内の平安時代の建物とは、醍醐寺五重塔です。)

 それはさておき、 
 この碑の建立過程は、第1号とは異なり、「日記」にさほど詳しく記載されません。
 それでも、今度も碓井小三郎に揮毫を求めたこと(12月)、翌1923年の2月に2基建立されたことなどが分かっています。

 しかし現在までに1基しか確認できていません。
 それは広隆寺境内の桂宮院への参道入り口にあります(写真)。
 碑銘は以下です。

 (表)左桂宮院
 (裏)大正十一年十二月三宅安兵衛建之

 気づかれることを指摘しておきますと、
 第1号碑と同じで、まだ「遺志」という文言はありません。
 父安兵衛は生きているかのように扱われています。

 また「大正十一年十二月」は建立年月と思っていましたが、「日記」のおかげで、これは碓井が揮毫した年月ということが分かります。

 さて残り1基はどこへ行ったのでしようか。
 
 現在桂宮院は、期間限定公開です(4、5、10、11月の日・祝日のみ)。
 恥ずかしながら僕は参拝したことがありません。 
 ですから桂宮院に近づいたことがないのです。
 
 しかし古写真などで桂宮院入り口を見ると、「桂宮院」と刻まれた石碑が建てられているのが分かります。
 これがもう一基の三宅碑ではないか、と想像しています。
 
 次の公開日には必ず参拝し、確認してみたいと思います。
(第2話おわり)
 

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