« 連載4「左々の碑」 | トップページ | 感謝!真夏に80名も参加者がありました »

2005.08.08

忘れがたい2005年8月8日

8/8(月)
 午前中、京都新聞出版センターへ。
 拙著『御土居堀ものがたり』の最終ゲラを担当者にお返しする。
 地図1枚だけ、もう一度ゲラ確認をしますが、原則もうお任せです。

 9月中旬刊行の見込みです。
 定価1500円前後のようです。
 これは安価でしょう。

 僕の初の単著であるだけでなく、「御土居」をテーマにした初の書物です。
 どうかご期待ください。

 午後から京都市役所へ。

 山科本願寺・寺内町を考える市民の会の代表の1人として、「再び、山科本願寺・寺内町遺跡の保存と活用を求める要望書」(写真)を、京都市長および京都文化市民局長へ提出するためです。
yobo

 山科本願寺・寺内町(京都市山科区西野など)は、戦国時代屈指の寺院、都市、城郭です。

 遺跡破壊があいつぐなか、2002年12月、ようやく国の史蹟に指定されました。

 もうすぐ3年になります。
 それなのに、現地には国史蹟に指定されたことを示すものは一切掲示されず、30年も前に建てられた説明版が、文字が読めなくなったまま放置されています(写真は指定された土塁)。

siteichi

 それゆえ
 ①案内板を建て替えるなど、今後の啓発活動の計画はどんなものですか。

 ②史蹟指定後にも考古学の発掘調査が進められています。
   それによりどんなことが分かりましたか。
   またそれらの遺跡の保存のための努力は、どの程度なさっておられますか。

 ③史蹟指定範囲は、遺跡全体のわずか数パーセントです。
   指定地拡大のための具体的な取り組みはどんなことをされていますか。
   また今後どう予定されていますか。

以上3点を教えてください。
という要望をいたしました。

 会長Y先生と、事務局長M先生と3人で文化財保護課へうかがいました。
 残念ながら課長さんや担当の方がおられず、お話しをうかがうことはできませんでした。
 要望書をお渡しして辞去しました。

 つづいて京都府庁へ。
 同じ要望書を、府知事と府教育長宛につくっていますので、お渡しするためです。
 府知事に会えるわけもないので、秘書室に託しました。

 まだ終わりません。
 
 この要望書を府庁の記者室に持参します。
 「投げ込み」というのですが、新聞社・テレビなどに知ってもらうためです。
 関心のあるところから連絡があったり、記事にしてくれたりするはずです。

 これで終わり。
 辞去しようとすると、外は大雨。
 にわか雨だと思っていたら、どんどんひどくなる(写真は雨の中の京都府庁)。
fucho

 結局1時間も雨宿り。
 雨宿り中、参議院で郵政民営化法案が否決され、衆議院解散を知りました。
 
 両先生とお別れし、今度は私的な用事に従事。
 そのとき京都新聞社から電話がありました。

 文化財担当の記者さんからです。
 要望書の件です。
 ご質問に応じます。
 明日の朝刊に載るかも知れません。
 
 いや無理かも知れない。
 明日の新聞は「郵政民営化法案否決」「衆議院解散」で埋め尽くされるでしょう。
 われわれの活動なんて無視されるかもしれない。 

 こういうとき文化活動は非力です。
 が、京都新聞の良識に期待しましょう。

 スペースシャトルの着陸は悪天候のため、明日に延期と知る。

 2005年8月8日(月)は、忘れられない日になりました。

|

« 連載4「左々の碑」 | トップページ | 感謝!真夏に80名も参加者がありました »

コメント

shimizuさん
 ようこそおこしくださいました。
 四条センターの講座でもいつもありがとうございます。
 ご関心をもって頂き、心より感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: 中村武生 | 2005.08.10 00:25

本日、四条センターの講座で、京都新聞掲載の記事を知り、会社の新聞で確認いたしました。
山科本願寺関連も興味深いですね。
さて、今日の講義をきっかけに新しい発見がひとつ。
姫路城の非常時の配置が隠居も含めて1000人・・という話。まぁ、江戸時代のリストラもわかるけど、ちょっと変だなとそのとき感じたのです。私の感覚では、配下の武士の数は、その石高に比例するもので、100万石のほうが、10万石より養えるし、戦闘する武士の数も基本的に多いはず、と考えていました。
で、姫路城と言えば、池田藩・・・多分5,60万石はあるだろから、長州藩や薩摩藩とそう大差ない人がいるはず。だから、あの1000人は、中心となる戦力が出てしまった後の、控え戦力では、と考えた訳です。
しかし、この文章を書く前に検索したら、姫路藩って、私の故郷前橋から移った酒井氏15万石なんですねぇ!
それじゃ、1000人でもしょうがないや、と納得。
前橋(厩橋と言った)は、酒井氏の移転後、城も崩れ、城としては冴えないまま幕末を迎えます。私はその大手門があるあたり(大手町)に住んでたので、姫路城は行ったことがないけど愛着がわいてきました。たまたま、先週保津川でラフティングを遊んだ時、一緒に下った保母さん6人組も姫路からだったなぁ。。
姫路に近いうち行ってみたい気分です。その時は、惣構(中ぐるわ)を見てきましょう。

投稿: shimizu | 2005.08.09 20:44

この記事へのコメントは終了しました。

« 連載4「左々の碑」 | トップページ | 感謝!真夏に80名も参加者がありました »