連載5「滋賀県の三宅碑」その2
「微妙大師万里小路藤房卿墓所」碑のつづきです。
(写真はクリックすると拡大します)
碑に記された、万里小路(藤原)藤房は、後醍醐天皇の側近の公家で、建武の新政を助けた人物です。
ところがまもなく天皇と対立して突然出家、その後行方不明になります。
道標に指し示された妙感寺には、妙心寺2世の授翁宗弼の墓所があります。
いつのころか分かりませんが、この授翁宗弼こそが、万里小路藤房ののちの姿だという説があり、一部では信じられています。
「微妙大師」は授翁宗弼の諡号で、昭和初年に贈られました。
つまりこの建碑の直前です。
碑の建立のきっかけが、大師号授与だったことは間違いないでしょう。
碑銘に「授翁宗弼」ではなく、「万里小路藤房卿」と刻んだのは、これを妙心寺の聖蹟ではなく、南朝史蹟として認識したための建碑だったと思われます。
ちなみに「三宅日記」にはこの建碑について一切記載がありません。
清治郎自身が建碑したものは、多くの場合、何らかの記載があります。
あるいは清治郎は出資しただけで、「南朝史蹟」に関心をもつ別の誰かによって建てられたものかも知れません。
(まだつづく)
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