三宅碑第1号、完成す
石匠中村方に立ち寄った翌日、すなわち10月26日、再び碓井小三郎方へ赴いています。
もちろん「道碑の事相談」するためです。
11月2日、3たび地理係へ行きます。このときは石匠中村も同道します。
その結果、ようやく2ヵ所の「双林寺畔道しるべ碑」の建設地が決定しました。
しかしまだ手続きは残っています。
2日後の11月4日、また地理係へ出向きます。
地所が決定したことを受けて、改めて建設願書を提出するためです。
その帰途、碓井宅を訪ね、碑の文字の揮毫(きごう)を依頼します。
具体的になってきましたね。
碓井はすぐにこれに応じ、10日後の11月13日、揮毫文の下書きを清治郎に手渡しました。
翌日、清治郎は石匠中村宅へ行きます。
おそらく下書きを見せたのだと思います。
それから1ヵ月、「日記」に碑に関する記載は見当たりません。
しかしこの間に碑の製作・建設作業が進められたようです。
12月24日午後、清治郎は「双林寺及び高台寺北門北入ル所の二ヶ所に」建設された碑を検分します。
こうして碑は完成しました。
翌日、清治郎は碓井宅を訪問します。
そして世話になった礼を述べ、品物を贈呈するのですが、ここで世話になった内容についてふれています。
碑銘の揮毫のほか、もう1つ、これまで触れていなかったことを記していました。
それは「市役所紹介」です。
市役所地理係との交渉は、碓井の仲介があってのことだったわけです。
なるほど、たしかに市役所地理係の初訪問は、碓井宅訪問の翌日でした。
市議や府議を経験した碓井の紹介があれば、進めやすかったのでしょう。
明けて1922年(大正11)正月2日、清治郎は「三宅清治郎商店」の店員全員とともに碑を訪ね、その前(東側の碑)で記念写真を撮りました。
第1号碑の完成はよほどうれしかったのですね。
写真は、碑の建立地と、それが示す場所との関係を示したものです(写真をクリックすると拡大します)。
円山公園へお越しの節はぜひ一度お立ち寄りください。
(第1話おわり)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。


コメント