トップページ | 2005年7月 »

2005.06.29

学生さん、未知の三宅碑を見つける

58190005
 6/29(水)あめ
 やっと雨が降りました。
 終日断続的に降り続いておりました。

 佛教大学出講の日。
 受講生S君とH君から三宅碑調査報告を聞く。

 彼らは去る6月26日、車で京都府笠置町、宇治田原町などに行き、同地に散在する三宅碑数本を確認したのです(6月23日条コメント参照)。

 問題はそれが私の知らない碑であるかどうかですが、喫茶部で報告を聞き、びっくり。
 ほとんどすべてが未知の碑でした(写真)。
 その数、6基。
 両君、お手柄です。
 
 いままでいろいろな講義で三宅碑の捜索をあおってきましたが、学生さんでこんなに見つけてきたのは初めてです。
 僕は調子に乗って、さらなる未知碑の確認を依頼しました。
 両君快く受け入れてくれる。

 これで三宅碑調査は終息に向かうかも知れません。
 両君期待していますよ。

| | コメント (2)

2005.06.27

今週も佛教大学スクーリングに出講

yamashina
 6月26日(日)はれ
 梅雨なのに雨がふらない。

 今週も、佛教大学通信教育部スクーリングに出講しました。
 今回は「京都惣構」の具体像を論じる日。

 昨日の余勢を受けて、山科本願寺・寺内町論、豊臣政権の京都改造、豊臣期京都惣構の復元、などを述べる。
 もちろんプロジェクターによる写真の投影をあわせて行います。
 最後は佛教大学付近の新旧の地形図に色鉛筆でぬりえをしてもらい、景観変遷の跡を体感してもらいました。

 来週はその地図をもって巡検です。
 雨がふりませんように。

(写真は「野村本願寺古御屋敷図」光照寺蔵)

| | コメント (0)

2005.06.26

山科本願寺・寺内町を考える市民の会、ミニシンポに参加

P6250037
 6/25(土)はれ
 「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」主催のミニ・シンポに参加する。
 同会は1997年に組織され、隔月で市民向けの講演会を催してきました。
 私は結成以来、事務局員として関わってまいりました。

 4月に講演会が50回に達したのと(23日)、先月15日、第6回和島誠一賞を受賞したことを記念して、今回ミニ・シンポを開いたわけです。

 山本正明会長のご挨拶のあと、結成に大きな役割を果たされた仁木宏さん(大阪市立大学)の基調講演がありました。寺内町研究の10年余の歴史を丁寧に振り返られました(写真)。
 つづいて前田哲哉事務局長から市民運動の経過説明があったのち、シンポジウムです。

 草野顕之さん(大谷大学)が司会となられ、私もコメンテーターとして参加しました。
 意見を求められましたので、中世都市史研究とはいえ、もっと近世段階の解明が必要であろうと申しました。
 そこからおのずから遡及的に中世が見えてくるという視点です。

 山科寺内町跡に限れば、近世において東西両本願寺が所有権をめぐって争ったという話があります(山科旧蹟問題)。
 そのため両本願寺の別院は、遺跡地そのものには建設できず、一歩外の隣地に建てたと説明されてきました。 しかしこの話はどこまで事実か疑わしい点があります。
 僕は中世都市「山科本願寺・寺内町」の研究に、この問題の解明からみえてくるものがあると思っています。

 つまりは僕がしたらいいのですが、未だ手をつけておりません。
 拙稿「山科本願寺・寺内町跡の近世・近代」に概要をふれました(山科本願寺・寺内町研究会編『戦国の寺・城・まち-山科本願寺と寺内町」』法蔵館、1998年)。
 ご参照ください。

 参加された一般の方からも活発なご意見を頂戴し、改めてこの史蹟への関心の高さを感じました。
 
 終了後、近くのホテルの喫茶店で事務局の慰労会。
 みなさまご苦労様でした。
 

| | コメント (0)

2005.06.25

山田邦和氏「本集めのススメ」のすすめ

honatsume
6/24(金)はれ
 古書店をひやかす。
 最近は家が狭くなるので、書籍はなるべくなるべく買わないようにしていますが、今日は琴線にふれるものがあったので、少し購入。
 
 書籍購入の思いをつづったものに、山田邦和氏「本集めのススメ」(『花園大学考古学研究室だより』40、2000年)があります(写真)。
 本の購入・収集を大学生に奨励したエッセーで、ご自身の経験をふまえて語られています。
 自宅を自らの最高の図書館にするよう生きてきた者としては、まさに我が意を得たりでした。
 大好きなエッセーの1つです。

| | コメント (0)

2005.06.24

講演「最近の義経論と史蹟解釈」を行う

tanjyoi
 6月23日(木)
 早朝には小雨が降っていましたが、すぐ止む。日中は晴。

 本日は講演にいってきました(於左京合同福祉センター)。
 「左京老人連合会」という団体からのご依頼です。

 本会とのお付き合いはもうながく、4年目です。
 毎年、この時期にネタを変えて講演をしております。

 今年は何と「義経」についてご依頼がありました。
 もちろん専門ではありません。
 が、「義経」は僕の初恋の相手でございますから、結局させていただくことにしました。
 もちろん「専門ではありませんが」、は忘れずお伝えいたしました。

 タイトルは「最近の義経論と史蹟解釈」です。
 菱沼一憲さんの一連のご成果をはじめ、今年は多くの「義経論」が世に提示されています。
 そのご紹介をしました。
  ※例えば、『源義経の合戦と戦略―その伝説と実像』角川選書、2005年

 しかし少しは自分の専門の話もしないといけません。
 人のふんどしで相撲を取るだけではあまりに恥ずかしいですから。
 そこで史蹟をどう見るか、という視点を加味しました。

 1時間半もつかなと不安でしたが、結局全く足らないぐらいで、杞憂に終わりました。
 笑いやうなずきを多くいただき、気楽にお話ができました。
 参加のみなさま、ありがとうございました。

| | コメント (0)

2005.06.23

三宅日記のデータベースを見る

P4280027
 6/22(水)、佛教大学に出講。
 三宅碑の紹介をしました(写真)。
 昨年、製作協力した同碑に関するテレビ番組(KBS京都、きらめきstory、約4分)も上映する。
 http://www.kirameki-story.tv/back56.html

 1年に一度、必ずこの話をしますが、驚くほどいつも反応がよい。
 ある男子学生の感想に「普段は少し眠くなるのに、今日は全く集中力が切れませんでした」とあり。
 苦笑。

 夜はその「三宅日記輪読会」(於京都市右京区)。
 本日は大正10年(1921)の総括・その1でした。
 
 松田万智子さん(京都府立総合資料館)がエクセルで登場人物データベースをつくってくださり、それが公開されました。
 松田さんから丁寧な説明を受けます。
 これは便利。
 大事なものをつくっていただきました。ありがとうございます。
 
 これは今後、「三宅日記」研究の進展に大きく貢献することでしょう。

| | コメント (2)

2005.06.22

パンクした自転車を修理してもらう

okonomi
 6/21(火)
 自転車を修理にもってゆく。

 去る6月19日朝、なぜか後輪がパンクしていました。
 唯一の「足」です。不便です。

 見てもらうと、パンクというよりも、タイヤそのものがだめになっていました。 

 なるほどたしかに相当ながく乗っています。
 1994年、友人Oさんの紹介で、その友だちから頂いたものです。
 修理費、4800円。痛い出費だ。
 でもやむをえません。
 必要経費です。

 これでまた娘をうしろに乗せて買い物に行けます。

 本日はピアノの日。夕方から娘とすごします。
 今夜も娘の希望でお好み焼きをつくりました(写真)。

 娘から頼まれて、彼女が食べるお好み焼きは、いつも食べやすいように細かく切って出します。

 先日、友人と飲んだときのことです。
 出てきたピザを何の気もなく裁断し出したところ、「こんなに細かく切るのを初めてみた」といわれ、はっとしました。

 僕は意識せず、娘のお好み焼きを切る大きさにそのピザを切っていたのでした。

 娘との生活が体にしみこんでいるのですね。

| | コメント (2)

2005.06.21

関東から旧友きたる

kyoto
 6月20日(月)
 関東、旧武蔵国西多摩郡から旧友MY氏(元小学校教諭)が西上してくる。
 いっしょに旧摂津国島上郡のS寺に参拝。

 旧山城国葛野郡東塩小路村(写真は現況)で再会を祝って乾杯。
 たまった情報交換に終始する。
 いささか酩酊。

| | コメント (0)

2005.06.20

佛教大学のスクーリングに出講

otabi
 6月19日(日)はれ
 梅雨なのに、雨がふらないですね。

 朝9時から、佛教大学通信教育部のスクーリングに出講しました。

 科目名は「地域文化特殊研究」、講義タイトルは「京都惣構(そうがまえ)論」です。
 受講者はわずか16名。
 3週連続開講で、その初日です。

 今週は、中世都市史における惣構の取り上げられ方(研究史)を論じました。
 内容が少し硬かったかなぁ。
 プロジェクターでいろんな写真をお見せしましたので、少しは緩和できていたらよいのですが。
(写真は、京都惣構〈いわゆる御土居〉構築によって、祭礼の規制を受けた祇園御旅所)

 12時50分終了。
 講師室に戻ると、既知のH大学のY先生がおられ、びっくり。
 あら、先生もご出講ですか。
 お話しするまもなく、去っていかれました。

 つづいてどこかの研究会に参加される由です。
 お忙しいですね。
 また来週、よろしくお願いします。

| | コメント (0)

2005.06.19

京都大学附属図書館へ行く

V6010261
 6月18日(土)はれ
 午後から京都大学附属図書館へ行く(写真)。
 西川太治郎編『西川正義』(1902年、近江新報社)の閲覧・複写のためです。

 西川耕蔵(正義、北村屋太助)は幕末期の京都の書肆で、池田屋事件に連座し獄死します。
 私の「池田屋事件論」のキーマンの1人です。
 
 編者の西川太治郎は西川耕蔵の親戚で、のちには『池田屋事変殉難烈士伝』を編纂するほど同事件に関心をもっておりました。
 両書はいわば、現在の私たちの池田屋事件に関する「常識」をつくったものですので、再検討が必要と思い閲覧・複写をしたわけです。

 なお管見の一部は、拙稿「吉田稔麿論」(花園大学人権教育研究センター編『周縁世界の豊穣と再生』2005年、批評社、170~171ページ)に載せました。
 ご参照ください。

 僕は同大学人文科学研究所の共同研究員をさせて頂いているので、附属図書館の書庫まで入ることが可能だったのですが、恥ずかしながら今回初めて入れていただきました。
 古い図書の匂いがとても芳しかったです。

 そのあと友人のSKさんをご案内して、霊明神社、正法寺、霊山護国神社(いずれも東山区)へ移動。
 ここは中学生の頃から数え切れないほど訪れていますが、最近はごぶさたにしておりました。
 すなわち、久しぶりの参拝でしたので、なんだかとても楽しかったです。

 円山公園の三宅碑3基を見学し、祇園から、西木屋町四条真町を通り、北上。
 「書斎」に立ち寄り、一杯頂く。
 あつい日でしたので大変おいしかったです。

| | コメント (0)

2005.06.18

京都新聞夕刊に拙稿が載る

tsuyunoi
 6月17日(金)はれ
 午前中、所要あり、外出。
 
 帰宅ののち、某所での仕事の用意に追われる。
 夕方から某所での仕事をこなす。
  
 本日、『京都新聞』夕刊3面に、
 拙稿「「梅雨の井」と聚楽第伝承」が載りました(『カッパが語る 京の水』48回、写真)。
 でも忙しすぎて、新聞を買いに行くひまがありませんでした。残念。

| | コメント (0)

2005.06.17

「古墳全壊」報道に思うことあり

zenkai
 
 6/16(木)はれ
 朝起きるなり、愕然とさせられる。
 毎日新聞朝刊のトップ記事です。
 
 「無届け工事 古墳全壊 ドコモ関西 形態基地局新設で 池田 府教委、緊急調査へ」
 大阪府池田市の古江古墳のことです。

 でも見出しに驚いて新聞を読んだものの、「古墳全壊」をあおるその書き方に、納得がいきませんでした。
 見もふたもないけれど、古墳を初めとする遺跡の消失は日常茶飯です。
 これまで「調査をした」あと、どれほどおびただしく壊されてきたか。

 だから今回も常識的には、まずどうあっても破壊される前提のものだった可能性大といえます。

 ですから、①無届けだった、②未調査だったという点のみが問題なのです。
 極端な言い方をしますが、「全壊」はさほど問題ではないはずです
(しつこいですが、さんざん壊してきたじゃないか。マスコミも当然のこととして無関心だったじゃないか)。
 
 調査をして壊すのと、しないで壊すのとではちがう、「記録保存」されたら後世に情報が残る、未調査なら何も残らない、といわれるかと思います。

 ある意味、そうかも知れません。
 でもそれは「やむをえない処置」であって、理想的な姿ではないはずです。
 
 「やむをえない処置」を理想的な処置に転ずるするために、これまでもっとマスコミも取り組むべきでした。
 調査をしたからといって遺跡は壊してはいけない、という姿勢が必要でした。
 それをして来られたのなら、「古墳全壊」をトップで報じられても問題視はしません。

 そのような事情を知らない一般読者には、「古墳全壊」だけに目が行き、意味するところが伝わりにくい記事でした。

 僕には今回のことは「法規にふれた」程度の問題にしか思えません。
 すなわち日常茶飯の「破壊」を、今回だけトップ扱いするというのは、過剰反応と思います。
(普段、文化財〈史蹟〉破壊を問題視し、新聞の取り上げ方があまりに小さいと嘆いている者ながら、そう思います。)

 私の思いは、
 ①拙稿「文化財保存にどう向き合うか」(『花園大学考古学研究室だより』45号、2004年)
 ②拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年7月下旬刊行予定、本当か?)
にも述べています。
そちらもご参照くださればありがたく存じます。
 
 本日は名古屋市の栄中日文化センターで講演をしました。
 今回は「豊臣政権の首都構想―大坂・伏見」です。

 主に京都橘大学の横田冬彦さんの一連の御説を紹介しただけのような内容でしたが、プロジェクターで映像を
ご覧いただきながらお話したので、少しは見やすかったのではないでしょうか。
 受講者のみなさま、ご清聴ありがとうございました。

 終了後、いつものようにお客さんと茶話会、二次会と歓談。
 朝田のぼる、沢田聖子(さわだ・しょうこ)というシンガーの話題でもりあがる。
 僕は高校生の頃、沢田聖子さんが大好きで、それ以前のアルバム、シングルB面までことごとく聴いて(収集して)いました。
 いまでも落ち込むと聴きます。元気が出るのです。

 帰宅すると、貝塚市教育委員会の前川浩一さんから、玉稿「貝塚寺内の都市計画」が恵贈されておりました(『史潮』57号、2005年5月31日発行)。
 おおこれは、以前話題にされておられたものですね。
 わざわざお送りくださりありがとうございます。勉強させていただきます。感謝です。

 新聞夕刊が、野茂英雄投手の日米通算200勝達成を報じていた。
 うれしいです。野茂投手の動向(活躍)は気になってしょうがありません。
 おめでとうございます。今後もずっとご活躍を祈念しております。

| | コメント (2)

仁丹町名看板を巡検する

bus
 6/15(水)、佛教大学へ出講。
 早朝、拙宅近辺は雨天でしたが、大学に着くとやんでおりました。

 本日も巡検(エクスカーション)です。
 ネタは「仁丹」。
 仁丹の町名看板は同大学の周辺にもおびただしくあります。
 「見たことがない」という学生があまりに多かったため、その見学を強行しました。

 「本日は出席を取らない」と明言したため、学生多く離脱。
 30名近くに激減しました(登録者は約80名)。
 それでも来てくれるあなた方を、僕は歓迎します。

 同じ町に同様の看板が三つもあったり、同じ町の仁丹設置看板なのに「上京区」と「北区」と両方があったり、同じ町に別の会社設置の看板もあったり、とさまざま。

 看板をめぐる探求を通じて、地理学的考察のおもしろさ、多様さ(どこででもできる!)を伝えたつもりです。
 どこまで伝わったでしょう。

 先日、佛教大学山岳部の行方不明だった最後の1人の遺体が見つかりました。
 すでに当ブログでさきに確認された2人に対して「哀悼」の意を表しましたが、それを読んだ受講生のS君は「最初に確認されたT君は僕の高校時代からの親友でした」と話してくれました。

 T君の魅力を聞きました。惜しいことです。
 面識はありませんが、この身近な不幸を強く受け止めたい。
 つきなみですが、われわれは彼ら3人のぶんまで一生懸命生きねばならぬ、と思いました。

 講義終了後、市立T小学校へ(北区)。
 校長先生と面談。
 小学6年生の総合学習で地域の歴史を学ぶことになりました。
 そこに「達人」として参加を仰せつかったのです。

 私が大学生のとき以来お世話になった地域です。
 思い入れ、愛着がつよくあります。
 喜んでさせていただきます。
 (写真は最寄のバス停)

 午後4時30分、ホテルグランヴィア京都でJR東海のKさんと打ち合わせ。
 10月の「石碑の町 八幡」のイベント、着々と進んでおります。
 6時すぎまで楽しく過ごしました。ピールもいただき感謝申し上げます。
 いつもごちそうさまです。

 夜は貴重な体験をさせていただきました。
 いつまでも深く心にとどめておきます。ありがとうございました。

| | コメント (2)

2005.06.16

【速報】中日文化センターへ向かいます

名古屋の中日文化センターへ向かっています。いま京都駅です。v6010261.JPG

| | コメント (2)

2005.06.15

いわゆる御土居の豊臣期を論ずる

050614

 6/14(火)はれ。
 佛教大学四条センター(下京区烏丸通四条)へ出講する。
 本日は「御土居堀ものがたり」の第3回、「豊臣期京都惣構(そうがまえ)の復元」です。
 
 京都惣構(いわゆる御土居、御土居堀)は、これまで江戸時代の絵図によってその形態が論じられてきました。
 残念ながら、つくられた豊臣期の絵図が無いからなのですが。
 
 しかし囲われた位置、出入り口の場所、堀の機能など、江戸時代の絵図からは分からないものがたくさんあります。
 でも見過ごされてきました。
 それゆえ僕は大学院生の頃から、「豊臣期の復元」研究をこころざして参りました。
 
 その成果は『日本史研究』420号(1997年)や、日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』(文理閣、2001年)、「御土居堀ものがたり」(『京都新聞』木曜朝刊、2001~2002年、同じタイトルで近刊予定)などに発表できました。
 今回はそのほんの一部をお話させていただきました。

 たくさんのお客さんでした(写真)。ありがとうございました。

 終了後、友人との約束がありましたので、南下。
 ランチをしながら歓談。
 そのお家に伝わる「古写真」を拝見する。

 人物中心の写真なのですが、人物よりもその背景にある石碑の銘文をじっと読んでいましたので(読めたのです)、その友人に笑われてしまいました。
 自分でも無意識の行動だったので、おかしくなりました。
 目が石碑に夢中のようです。

| | コメント (2)

2005.06.14

体調不良でしたが、元気になりました

okubo

 6/12(日)はれ
 大阪府高槻市に所要ででかける。
 貴重な時間でした。心が洗われて戻ってまいりました。

 そのあと某大学の学生さんと卒論のことなどを話し合う。
 僕も勉強になりました。
 体調不良で食が進まず。珍しいことです。ビールもほとんど飲みませんでした。

 帰宅後、朝方までパソコンに向かう。
 明日も朝早いのですが、どうしても先送りしたくない事項ですので、眠くても頑張りました。
 
 6/13(月)はれ
 あまり眠れず、しかし定刻にきちんと目が覚める。
 体調最悪。こういう日もあるのかというぐらい動けませんでした。

 それでも最寄の銀行で事務処理をしなくてはならず、出かけました。
 小学校の諸費の引き落とし処理です。さぼると娘がこまります。
 
 山口県周南市のマツノ書店からダイレクトメールがくる。
 日本史籍協会『大久保利通文書』全10巻の復刻案内でした(写真)。
 絶対必要な文献ですが、また金がかかる、部屋がせまくなる、と愉快でない。
 本を買うのは研究者の不可避の営みです。
 とりわけ史料集はそうです。
 が、そうもいっていられない現実がある。

 しかし買わなければ、あのとき買っとけばよかったと必ず思うのだ。
 先年、同店刊行の『高杉晋作史料』は我慢して買わなかった。
 そのときはよい判断だと思ったのです。
 が、その後何度困ったことか。
 高杉晋作の仕事ができないではないか。
 もう少しなやみます。

 夕方、待ちに待った情報が入ってくる。
 「それは知らなかった!」と意外性もありがたい。
 もっと早く連絡くれたらよかったのに!
 瞬時に元気がでてまいりました。

 その後、京都市の某所での会合に参加。
 お話の楽しい魅力的な人と話すと元気になりますね。復活しました。
 
 帰宅後、明日の佛教大学四条センターでの講演の準備をしようとしましたが、さすがに疲れが出てまいりました。無理できず。
 午前1時半頃、寝ました。無念。

| | コメント (2)

2005.06.13

松花堂弁当は誰が考案したのか

P4280037
 6/10(金)、さまざまな事務処理を行う。
 夜は、某所での仕事をこなし、夜10時頃帰宅。

 6/11(土)あめ。午後2時半、京都府立総合資料館へ入る。
 松花堂弁当は誰が考案したのか、という「問題」に取り組んでいます。

 一般的には料亭吉兆の創始者湯木貞一が「考案」し広めたことになっていますが、私は少し違う話を旧家で聞きました。
 たかが弁当、と思うなかれ。
 実は予想される結論は、私の「建碑にともなう史蹟空間づくり」研究の一部をなすのです。
 だからけっこう真剣です。

 2日前、それに関する「重要資料」の存在を知りました。
 そこでさっそく、それを蔵していた同館へ閲覧にいったわけです。
 いつものように同館司書の松田万智子さんにお世話になりました。

 ほかにも私の知らない「松花堂」関係資料をご教示いただきました。
 さっそく複写。
 ありがとうございました。
 (写真は京都府八幡市の石清水八幡宮境内にある「泉坊松花堂跡」碑です〈費用負担者は三宅清治郎〉)

 夜、美術館「えき」KYOTOの「ミヒャエル・ゾーヴァ展」に立ち寄る。
 不思議な世界に、しばし頭を洗浄しました。

| | コメント (4)

2005.06.12

JR東海「そうだ 京都、行こう。」イベントの打ち合わせ

P4280022

 6/9(木)はれ、午後からJR京都駅で、JR東海「そうだ 京都、行こう。」デスクの2人のKさんと会いました。
 来る10月、第1回「京都の歴史地理入門」というイベントを行います。
 その打ち合わせです。
 タイトルは「石碑のまち 八幡」。

 京都府八幡市には1920年代、約140ものおびたたしい石碑が建てられました(写真はその1つ)。
 出資者は個人です。
 京都西陣織の帯商、三宅清治郎です。

 三宅の出資金を使い、八幡の郷土史家、西村芳次郎なる人物が、自分の思いをこめて各所に建碑していきました。
 その結果、八幡にはある特定の歴史像が誕生したのです。

 建碑によって史蹟空間はつくられます。
 これを実証することが、いま僕の1番エネルギーをこめているテーマです。
 
 そのお話を現地でいたします。
 
 昼間から、冷たくにがい飲み物を、たらふく頂きました。
 ありがとうございました。幸せでした。

 夜は、京都新聞にリレー連載中の「カッパが語る京の水」(金曜日夕刊3面)の校正原稿をメールで返す。
 あとは掲載前々日に到着する最終稿をチェックするだけです(6/17掲載予定)。

| | コメント (0)

2005.06.11

講義で鷹峯段丘の崖を歩く

raihai

 6/8(水)はれ、佛教大学出講日。
 本日は巡検(エクスカーション)です。

 紙屋川沿いの鷹峯段丘崖(たかがみね・だんきゅう・がい)を北へ歩いて行きます。
 住んで安全なところ、危険なところを伝えます。
 「ここはただ(無料)でも住んだらあかんよ。いざいうとき、死ぬよ。」
 こんなことをいうと、素直に緊張してくれる。いいねぇ。

 で、結局オチは、いつもの京都惣構(そうがまえ、いわゆる御土居)。
 秀吉はこの立派な自然の崖を利用して、ミヤコの城壁を急ピッチでつくったんだよ、と伝える。
 ふんふんとうなづいてくれるとうれしい。

 おお、それで思い出した。
 昨日、いま高校の教育実習に行っている元受講生、Hさんから苦闘のメールあり。
 高校生の反応が悪く閉口しているという訴えです。
 僕の気持ちが少しわかりましたね。
 そうそう教員はそれを気にしなくならないとできないのです。
 開き直ってください、と応援メールを送りました。

 だから今日はふんふんとうなづく人が多くて、望外の喜び。

 授業終了後、遺体が確認された山岳部の2人の学生の追悼の部屋(礼拝室)に行き、お焼香をする(写真)。
 お参りの方、あとを断たずでした。

 行方不明になってからずっと気になっていました。
 捜索中止の報を聞いたときの思いは忘れません。
 僕は行方不明になった3人を直接教えたことはありません。
 でも当時の受講生から、「今回行方不明になった子(男子)の彼女が友だちなんです」と聞いて、とても身近に思えていました。
 ご家族、友人、直接教えた先生方を思うと、いたたまれません。

 大学喫茶部で論文を書く(打つ)。いつもいつも長居してすいません。

 頭がまわらなくなってきたので、大学を出て木屋町三条の「書斎」へ移動。
 またAさんのお気遣いで別室を頂き、論文つづきを書く(打つ)。
 お値段は喫茶店並み。いつも申し訳ありません。

| | コメント (0)

出直しします

 ご愛顧いただいている皆様へ。

 リニューアルいたすことにしました。
 
 これまでコメントいただいていた方々には大変失礼なことでございますが、どうかご寛恕(かんじょ)賜りたく存じます。
 今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

| | コメント (4)

トップページ | 2005年7月 »