2012.01.28

七卿は伏見街道を南下した

 去る1月14日付で、七卿落ちのルートを記した信用できる同時代史料は沈黙していると記し、二次史料である『三条実美公履歴』を使って、竹田街道を歩いた。
 が、七卿のひとり三条西季知の日記に記載があった。「大仏より伏見街道ヲ南ニ取進発了」である(『維新日乗纂輯』1、390頁)。なんとどんくさい。参加者におわびいたします。
 ただしなぜ『三条実美公履歴』は竹田街道と記したのか、三条西季知の記載がまちがいなく正しいといえるのかはしばらく留保したいと思う。

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2012.01.27

天誅組の乱と大仏宮家臣日記

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「中村武生のくずし字入門」に出講する。毎度変わらず、幕末大仏御殿(妙法院)家臣の日記を読む。文久3年9月25日(1863)条で、天誅組の乱から無事脱出した平岡鳩平(武夫、北畠治房)が初登場。
 北畠の1888年(明治21)4月の回想「北畠四位奉答書」と一致する点が多い。9月25日、京都に入り有栖川宮諸大夫前川茂行邸に入り、28日山田筑後方に移るとある(『野史台維新史料叢書』34、東京大学出版会、62頁)。
 当該日記は前川・粟津義風から書状があったことを記す(前述のようにその条に平岡が初登場)。27日に「武夫来訪」とある。1日のずれがあるが、回想録のことだからその程度は誤差の範囲といえる。この回想録、バカにできない(というより、「北畠四位奉答書」が使えるものと裏付けられそうな当該日記もすごい)。
 当該日記は樺太の日露国境のこと、蝦夷をねらうロシア情報、ロシア人の領土感、箱館の砲台設置の話などを簡潔にふれる。記主山田筑後守がロシアや北方防衛の情報も入手できる位置にあったことが知れておもしろい。

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2012.01.26

大河「清盛」関連講座はじまる

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 京都新聞文化センター「中村武生とあるく洛中洛外」に出講。今回は「白河・鳥羽と院政」というタイトル。専門外です。もちろんNHK大河ドラマ「平清盛」の便乗。
 「院」と「院政」の基本的な話をした。スカスカの中身だが、それがかえって良かった由。最先端の話を、時間いっぱいするばかりを受講者がのぞんでいないと改めて感じた。
 来週は巡検です。白河殿跡・法勝寺など六勝寺跡の白河地区(現京都市左京区岡崎)をあるきます。

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2012.01.25

箱館五稜郭占領から版籍奉還の話

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 基礎からまなぶ!日本歴史に出講。
 本日は榎本武揚らの箱館五稜郭占領。榎本らの新政府への嘆願書を読む。参考文献は、石井孝氏『戊辰戦争論』(吉川弘文館)。ついで明治2年1月(1869年)の版籍奉還にふれたところでタイムオーバー。
 時事ネタは宮町遺跡(滋賀県)から大型建物が検出された件(紫香楽宮のふたつ目の内裏遺構か)。中村武生の私的な2000年11月の回想とともに意義を語る。

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2012.01.22

二条城と幕末京都徳川重臣の居所をあるいた

 マニアな幕末史蹟をあるくA班に出講した。
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 二条城とその周辺の徳川重臣の居所を訪ねた。越前松平屋敷跡と京都所司代(桑名侯松平定敬役宅)跡、東奉行所跡、神泉苑。
 若州屋敷(一橋慶喜邸)跡と見廻組関係地を残した。残念!続編をします。

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2012.01.21

豪華な御土居堀跡散策

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 御土居堀巡検、終わる。
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 今回は超豪華な内容。国史蹟指定地3か所あり。カギを借りて普段立ち入り禁止の金網の中にも入る。土塁・堀を登り降りし、見まくった。
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「御土居餅」(光悦堂)のおやつも付いていた。不参加の方、誠に残念でした。次このコースをするのはいつになるやら。
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 次回は本年(2012年)2月25日(土)午後1時、JR山陰線「丹波口」駅改札集合。御土居堀跡を北上します(~3時、解散予定「西院」交差点付近)。小雨決行。参加費千円。

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【お知らせ】御土居堀跡をあるく

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 本日(2012年1月21日)、御土居堀を考える講座(巡検)です。

 午後1時、京都市北区大宮土居町の「玄啄下」交差点集合。御土居堀跡を西へ歩いてゆきます。

 土塁や堀の残存率のもっとも高い地域です。小雨決行。参加費千円です。

                                    (主催:京都御土居堀研究会)。

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2012.01.20

日記の記述がひと月ずれていた!

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「中村武生のくずし字入門」に出講。

いつもの「大仏御殿妙法院家臣幕末日記」(仮称)を読む。たいへんな誤解にきづく。

冒頭に8月5日夜とある。天誅組の乱の記載などがあるため、文久3年(1863)と判断した。それに誤りはない。

 が、月が誤りだった。8月ではなかった。9月だった。それにきづいて疑問が氷解する。

 妙法院日記を使用された、村山修一氏『皇族寺院変革史』の七卿落の部分によれば、文久3819(1863)に山田筑後守が有栖川宮邸に行っている(塙書房、2000年、638)

 ところが前掲「幕末日記」の「文久3819日」条にそんな記事はない(記主は山田筑後守)。不思議であったが謎はとけた。そう、つまりこれは「文久3919日」条だったのだ。載っていなくて当然だ。

 ほかにもいろいろおかしな点があったのだが、ひと月ずれていると知れば、(たぶん)すべて謎が解ける。もう一度見直しだ。

 そののち大谷大学の講義に行く(歴史地理学という科目)。本年度最終日だった。平成の「寺田屋騒動」を論ずる。史蹟論の一環であるが、1880年(明治13年)に廃業した寺田屋が、なぜ26年後の1906年に再開するのか、これは伏見の地域論に使える。これだけでも歴史地理学的である。

さらに旧葛野郡上桂庄に行き、1時間30分ほど滞在して、旧宇治郡山科郷に帰る。

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2012.01.18

花山天皇陵ゆかりの法音寺を知った

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「天皇陵をあるく」に出講した。
 本日は紫式部墓、雲林院園池検出地、現雲林院、衣懸塚、子内親王火葬塚、後冷泉天皇火葬塚、近衛天皇火葬塚、花山天皇陵を巡拝。
 大阪皇陵巡拝会道標は一つ確認。花山陵の西至近にあった。以下です。
 (西向き)↑二條天皇陵
                 参道 
      ↓三條天皇陵
 (南向き)↑花山天皇陵参道
 (東向き) 大阪
         皇陵巡拝会
 (北向き)(文字なし)
 花山陵探索の基準になった法音寺の名蹟を継ぐ寺院があるのを初めて知った。驚いた。訪ねた。

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2012.01.16

随心院を楽しんだ

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 都名所図会をあるく(宇治郡編)があった。
 今回は小野随心院。小野小町遺跡として知られるが、事実は何もない。
 当寺の意義は、真言宗小野流三派の中心であったことと、古代寺院、曼荼羅寺の遺跡であること。それゆえ国史蹟に指定されている。小野小町は関係ない。
 それはともかく、随心院は興味深い寺院だ。細かいことは述べないが、もっと深めたいと思っている。

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